本来の意味を超えて

挨拶は時の氏神
(あいさつはときのうじがみ)
意味
けんかや口論をしているときに
上手に仲裁してくれる人が現れると、
双方の面目が立って
その場がおさまりやすい。
氏神様と同じで
仲裁人はありがたいものだから、
調停には従ったほうがよいということ。

この場合の挨拶は
「おはよう!」とか「ごきげんよう!」ではなく
喧嘩の仲裁のことなのですよね。
でも、いわゆる”挨拶”の方にしたって
十分に時の氏神だと思うのですが、
いかがでしょう?

私は基本的に
朝一番は顔を見て笑顔で挨拶と決めており
よほど失礼な相手でもない限り
嫌いな人にも同じことをしています。
誰かに教わったのですが、笑顔の挨拶は

”私には悪意はないですよ、危険人物ではないですよ、、”

という意思表示になっているそうで、
中には裏をかいてくる馬鹿者も居るには居るけど、
とりあえず最低限の礼儀ですよね。

”よほど失礼な相手”の中には
用事のある時だけ、挨拶抜きで話しかけてくる奴もいて、
さすがの私もイラっと来るものですから
返事の代わりに、笑顔の挨拶を繰り返します。
相手が挨拶をするまで、繰り返します。
言っておきますけど、これは警告ですよ、Iさん(--#