魚は海に幾らでもいる
(さかなはうみにいくらでもいる)
「機会を逃しても、がっかりするな、
また別の機会がある」という意味のことわざ。
一度逃したチャンスに落胆するのではなく、
他の可能性を探すべきだという
励ましの言葉。
”逃がした魚は大きい”とも言いますね。
どっちなんでしょうね?
”魚を与えるより、釣り方を教えろ”とか
魚関係の諺が多い気がするのは、なぜでしょう?
気のせいでしょうか?
もしかして、農夫より漁師の方が
待ち時間が長い分、饒舌になるのでしょうか?
個人的には、”逃した魚は~”に同感で、
あとで悔やむよりは、とりあえず全力で捕まえて、
他の可能性については
後からゆっくり考えることにしていますが、
まだそれらについて、考えた覚えはありません。
多分、その一匹以外は
たいした問題ではないのでしょう