清濁併せ呑むということの出来ない人は
広い世界を狭く生き、調和のある人生を知らず識らず
不調和におとしいれる人である
– 中村天風 –
「許せない!」という言葉は
ちょっと危ないと思います。
怒りに正当と不当があるかないか
それは別な話として
許すのは自分であるのだから
すなわち裁いていることになりますね。
人が人を裁けるものか
私にはまだわからないです。
それが政治に対するものとかなら
「許せない」ではなくて
「こうすることを要求する」という
別な言い方があるだろうし、
ましてや個人に対するもので
例えば嘘も方便だと信じている人に
「許せない」というなら
天風先生の表現を借りると
清と濁の定義を
押し付けているかもなんて思うのです。
いろんな人が集まって初めて
「どちらにも偏らない世界」という
いまだ実現できていない課題が
初めて可能になってくるのでしょう。
なんて思うのです