不運ではあるが不幸とは限らない

不幸はナイフのようなもので、
刃をつかむと手を切るが、
取っ手をつかめば役に立つ
– メルヴィル –

”不幸を役立てる”なんて言うと
ちょっと穏やかでない感じがしますが、
一見不幸に見える事でも
そうとも限らない面もあるということなら
思い当たる節もないでもない。

なんか煮え切らないですが
”不幸”というのはもはや感情であって
”不運な事実”とは別物のように思えるのです。
不幸と感じた時点で
もう事実認定をしてしまっていて
手遅れな気がしませんか?

厳しい状況にあっては
ただ事実のみ受け取っておいて
感情は、落ち着くまで保留しておくのが
無難なのかも知れません

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