論法が崩壊するとき

全ての不可能を消去して、
最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、
それが真実となる
– アーサー・コナン・ドイル –

その”不可能”が曲者ですね。
小学1年生にとって、1から2を引くのは不可能でも
上級生はそれが可能な世界に生きているし、
その上級生だって、2乗してマイナスは無理だけど
いつしか、それが可能な世界で色々考えている。

たぶん犯罪にしたって
大昔は無理だった偽装工作や証明方法が
今では当たり前に使われているのでしょうが、
”何でもあり”というのは
逆に”何のとっかかりもない”と言えますね。

消去法が効く世界の方が
居心地が好いような気がします