猫も杓子も
(ねこもしゃくしも)
何もかも、誰も彼も、区別なく
みんないっしょにということ。
猫の手が、杓子に似ているところから、
「猫の手でも何でも」が由来。
杓子って、まさかあれかな?と思ったら
やはり”しゃもじ”の事でした。
正確には”ごはん専用の杓子”を
”しゃもじ”というらしいのですけど、
どちらにしたって、どう見ても
猫の手とは似ても似つかない気がするのですが、
昔の杓子は今とは違っていたのか?
それとも猫の手が今とは違っていたのか?
多分どちらでもなく
昔の人の感性が、
今より豊かだったのでしょう。
それか、今よりは圧倒的に物が少なくて
だから一つのものが
猫の手やブルドーザーに見えていたのかも。
いや、ブルドーザーはなかったか。
とにかく、昔の子が何でもおもちゃにしたように
空想が自由だったのかも知れません。
昔は小林製薬がなかったから
赤チンと正露丸で
何でも治していましたしね