仏も昔は凡夫なり
(ほとけもむかしはぼんぷなり)
釈迦も最初は
煩悩に苦しむ普通の人間だったが、
修行を積み重ねることによって
悟りを開いた。そこから、
誰でも精進すれば仏になれるという教え。
努力によっては立派な人間になれるという
広い意味でも使う。
手塚治虫さんの『ブッダ』を読む限り、
釈迦は、修行の積み重ねで悟ったわけではなく
修行の末、そういった特別なものなど
実は必要なかったと悟ったようで、
その方がむしろリアリティがありますね。
もちろん、はじめから苦行を避けていたら
悟りに至らなかったのでしょうけど、
だからと言って、すべての人が苦行するのでなく、
ブッダの後に続く人は、
素直に教えに従うのが最善の策というもので、
それなのに、冒頭の諺のような言い草では
釈迦が報われない気もします。
「努力さえすれば、、」では足りず、
その方向を誤らないことが重要みたいです