
大疑は大悟の基
読み方:たいぎはたいごのもとい
物事に対して大いに深い疑問を抱くことこそが、
やがて大きな悟りや
真理の理解へとつながるという意味の禅語。
疑問を持たずに受け入れてしまうだけでは、
本質的な理解や成長は得られず、
深く悩み、突き詰めて疑問に向き合う人ほど、
それを突き抜けたときの見晴らしや
気づきも大きくなるということ。
瞑想というと
なにも考えないことだと思いがちですが、
実は人間である以上、”何も考えない”というのは
とても難しいことです。
嘘だと思うなら、3分間で好いから
”無念無想”で座ってみたらいい。
空想は自在に飛び交い
瞑想のつもりが、”妄想”の時間になるでしょう。
では、どうしたらいいのか?
ある人が教えてくれています。
「疲れて続かなくなるまで、一つの考えに集中する。
昔から伝わる”瞑想法”というのはことごとく、
極限まで何かに集中して、疲労困憊した心が考えを放棄したときに
初めて瞑想がやってくるというしかけだ、、、」
なにも、禅の公案※でなくたって、
日中、仕事上の解決策をずっと考えていた帰り道、
あれほど考えて思いつかなかった方法が
まさに”降ってきた”経験はありませんか?
なければ勿体ない話です。
あんなに気持ちのいい瞬間はありませんから、
ぜひとも、難題を抱えてください。
公案:禅宗(特に臨済宗)の修行で、
師匠が弟子に与える課題や禅問答のこと